Saturday, August 26

報知專訪 8/26

KAT―TUN・亀梨和也「グループ存続は僕の美学」
8/26(土) 14:00配信 スポーツ報知

24時間テレビで主演ドラマ「阿久悠物語」
日本テレビ系「24時間テレビ40 愛は地球を救う」でメインパーソナリティーを務めるKAT―TUN・亀梨和也(31)が主演のドラマスペシャル「時代をつくった男 阿久悠物語」は26日(午後9時頃)に放送される。一時代を築いた作詞家・阿久悠さんを演じているが「仕事以外での人間性を感じていただければうれしい」という。ジャニーズ事務所に入って来年で20年、節目を迎えるが「僕は何の才能もないから目の前のことを精いっぱいやるしかなかった」と振り返る。ジャニーズJr.時代やKAT―TUN結成後の苦労、グループに寄せる今の思いも聞いた。



ブレない生き方意識
阿久悠さんは沢田研二やピンク・レディーらの楽曲を手掛け、日本レコード大賞を5回受賞。2007年に70歳で亡くなるまで5000曲以上を作詞した。亀梨は希代のヒットメーカーに強烈な存在感を覚えたという。

ピンク・レディーさんとの結び付きは感じていましたが、調べるほどにあれもこれも阿久作品ばかり。もう衝撃です。どうして覚えたのか知らないけど、物心ついて『おはよう』っていうのと同じように、リアルでない僕ら世代でさえ、なぜだか曲を知っている。そんな感覚で阿久さんの歌が僕らの頭に刷り込まれているんですね。(今回の)ドラマのテーマでもある音楽の圧倒的な力を改めて感じます

数多くのドラマに出演しているが50代を演じるのは今回が初めて。舞台背景にもなった高度経済成長期にも特別な思いがあったようだ。

作詞家になられる前の1960年代初期から、50歳代までを演じましたが、阿久さんは生き方にブレはなくて筋が通っている印象で、そのあたりを意識したつもりです。実年齢より上を演じるのは初めてで、しかも20歳以上も、ですから難しさもありました。時代も考えて4パターンの衣装や髪形を用意したので、微々たる変化を楽しんでいただけたらと思います。舞台が60年代だと写真がモノクロであったりとか、現代との違いはありますが、なにか懐かしい感覚を持ちました。僕が育った環境が昭和を感じる状況にあったからだと思います。黒電話があったり、最新のモノをバカスカそろえられる家庭じゃなかったので、昔のモノに親しみも感じました

「これ終わったな!」
中1の時に親戚がジャニーズ事務所に履歴書を送った。プロを夢見た野球少年はオーディションで芸能界のすごさを目の当たりにしたという。

(オーディション会場の)NHKのスタジオには300人ぐらいいました。みんなおしゃれで当時はやっていたアディダスのジャージーを着てたり、茶髪でピアスやネックレス着けてたり。こっちは『ジャージー持参』ということで渡された紙袋の中身を見たら父親が着用する裾がジッパーで閉まるタイプのが…。瞬間『これ終わったな! 絶対にダメじゃん』と思いました(笑い)。でも審査を受けて分かったことがありました。野球でいうと中1の時は中学野球の世界で勝負ですが、芸能界は中1でもプロの世界。これは刺激的なことでした

人生初めてのうな重
審査合格後に滝沢秀明らがいる現役のジャニーズJr.の番組を見学。野球と芸能で気持ちが揺れ動く中で、ジャニー喜多川社長から思わぬラブコールを受けた。

タッキーを見た時、あんなキラキラしていている人がいるんだって、芸能界に興味も湧きました。でもジャニーズのレッスンとかぶる日曜日には、なぜか野球の練習の方に行っていました。しばらくしてジャニーさんから麻布のつづきスタジオに呼び出されると、いきなり『ユー、何食べる』って。『何でも大丈夫です』と返事して出てきたのが分厚いウナギ…、それが生まれて初めてのうな重でした。『ユー、何でレッスンに来ないの、興味ないの』『野球の練習があるんで』と答えると『ユー、ジャニーズで野球やればいいんだよ』って。そしたらすぐに台湾大震災チャリティー野球大会で、投手で招集されました。そして『金八先生』に出演が決まったので野球をやめる決断をしました

デビュー先越され…
高1の時にKAT―TUNが結成された。CDデビューまで5年を費やしたが、デビュー前に東京ドーム公演を行うほどのメガグループに成長。型破りな新人の登場に世間のザワザワ感は相当なものだった。

これまでの事務所の流れ考えたら『グループ結成=CDデビュー』じゃないですか。でも先にシゲ(加藤シゲアキ)ら後輩がNEWSでデビューしたので正直、腐っていました。子供ながら“KAT―TUN会議”なるものを開いて『このままデビューできないんじゃないか』『事務所をやめて人生やり直した方がいい』とかマジに話していました。デビュー当時も東京ドーム公演が話題になりましたが僕らは“いきなり”とは思っていなかった。ドームではSMAPさんとKinKi Kidsさんしかやってないので、先輩を飛び越えたすごさは感じましたが、僕らは数年間活動して国際フォーラムから始まり松竹座や横浜アリーナと段階を踏んでいた自負もあったから、何で騒いでるのという感じも…。世の中の感覚では新人はフレッシュと思っているから、このズレが生意気に映ったのかもしれません。確かに僕はグループでも一番年下ですが一番生意気そうでしたね(笑い)

常に突っ張ってきたことですれ違いも生まれた。“修二と彰”でユニットを組んだ山下智久と疎遠になったこともあったという。

山Pとは(沿線に住む)総武線仲間ですごく遊んでましたが、高校ぐらいに互いの毛色の違いを理解できなくなった時期もありました。僕はブレてないんですが、そこはコンプレックスですね。山PはJr.のド真ん中でいるだけで絵になるけど、僕は立っているだけでは仕事は来ない。いろんなことをしなくちゃいけない中で、カッコつける場面も出てくる。山Pから見ると『こいつ、何カッコつけてんだ』と思ったんでしょう。最近、一緒にご飯食べた時『亀ってあの時からプロだったんだよね』って褒め言葉をいただきました

常に危機感持ってる
ドラマにキャスター、バラエティーで活躍の場を広げているが自分の立ち位置を忘れることはないという。

僕は何かにずば抜けて才能があると思った事はないし、常に危機感を持っています。それに自分のためというより外にベクトルを向けるように意識しています。野球の取材では選手が主役だし、ドラマの時は監督さんの先に視聴者がいる。ステージに立つ時は目の前にファンがいます。自分がどこにいたいかよりこの場面で自分が何をすればいいのかを考えます。小さい頃からイチロー選手や松井秀喜選手になりたいという願望もありましたが、野球をやることで親を喜ばせたいというのが一番でした。これが亀梨和也だと思うし、もしこの世界をやめて違う所に行ってもそこは変わりません

どう守りどう大きくできるか
―最後に充電中のKAT―TUNについては。

充電を認めてくれた事務所には感謝です。いろんなプロブレム(メンバー脱退など)も、何か僕の中ではその当時は納得というか理解できないことも正直ありましたが、一つ一つの出来事が今の自分を作ったとも思います。グループ存続は今となっては僕の美学です。15、6歳から続けていることで、その意味でプライドというか崩したくないモノです。グループをどう守れるのか、どう大きくできるのかが自分の中のベースにもなっています。強い何かを持ってまた集まれたらいいと思っています

覚悟の人である。自分の弱さと強さを知り、周囲を思いやれる度量の深さ。仕事への真摯(しんし)な態度はその覚悟から生まれるものだろう。男もほれるナイスガイだ。

(ペン・国分 敦、カメラ・小泉 洋樹)

年上・小山は呼び捨て、翔くんは勉強するから一人部屋
24時間テレビでは嵐・櫻井翔、NEWS・小山慶一郎と司会を務める。ジャニーズJr.時代からの仲間に特別な思いもあるようだ。

小山は年齢は上なんですが、事務所入りが2、3年遅くて僕が教育係みたいに振り付けを教えていたからずっと小山と呼び捨てです(笑い)。翔クンは昔はやんちゃでおしゃれのカリスマって感じでした。全国ツアーの時、Jr.は3人部屋なんですが翔クンだけは勉強するから一人部屋でしたね。僕の同期は(KAT―TUNの)中丸(雄一)、(Kis―My―Ft2の)藤ケ谷(太輔)、(NEWSの)増田(貴久)や(A.B.C―Zの)塚田(僚一)とかです。交流は最近ですね。みんな大人になって『集まってご飯食べようって』となりました。滝沢君はJr.の中では雲の上の存在。別格でしたが僕はかわいがってもらいました。家に泊まりに行った時、僕のジャージーを洗濯してもらいました

<プロフィール>
◆亀梨 和也(かめなし・かずや)1986年2月23日、東京都生まれ。31歳。98年にジャニーズ事務所に入所。翌年に「3年B組金八先生 第5シリーズ」(TBS系)で連続ドラマ初出演。2001年にKAT―TUN結成。05年に「ごくせん」(日テレ系)に出演し人気者に。同年「野ブタ。をプロデュース」(同局系)でW主演した山下智久とのユニット「修二と彰」で「青春アミーゴ」を発売しミリオンセラーを記録。06年、KAT―TUNとして「Real Face」でメジャーデビュー。小学校から始めた野球の経験を生かしプロ野球のPRに貢献し選手からの信頼も厚い。血液型B。


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